いよいよ全国制覇!未踏の地、鹿児島・宮崎にむけて早起き鳥一家は出発。年末から年始への年またぎ旅、九州をたっぷり楽しみます。
旅30日目、熊本県人吉市にて2023年の初ラーメン!そして翌日は錦町にある「ひみつ基地ミュージアム」へ。
30日目:正月3日目、初ラーメンと初ケンタ
前回のキャンピングカーで日本をめぐる旅はこちら!
【キャンピングカーで日本をめぐる旅2022】南九州年またぎ旅㉜ 鹿児島熊本・鶴丸温泉と人吉ぶらり
2023年の初ラーメンは「らーめん龍風」で
旅30日目のお昼になりました。
熊本県人吉市にいる早起き鳥一家、午前は相良護国神社に初詣して、そのあと町をぶらり。「釜田醸造所みそ・しょうゆ蔵」の工場を見学して試食三昧、気に入った醤油と漬物などを買いました。そしてお昼…。
今日はまだ三が日、やっているお店も少ないなあ…、と思ったところで行列のお店発見!なんとか駐車できたので列に加わりました。お正月休みでやっている店が少ないとはいえ、なかなか人気のあるお店なんじゃないの!?
並ぶこと30分あまり、席につくことができました。うーん、初めてだしどれを頼もうか迷った結果、やっぱりここはお店の名前がついた「龍風(ろんぷう)らーめん」だ!
そしてやってきました「龍風らーめん」。
濃厚ながらクセの少ないスープにマー油の香り、つるっと食べやすい麺。マー油がやっぱりポイントですかねえ、おいしい!
うんうん、そうだこの感じ。九州のラーメンだとQは熊本ラーメンがかなり推し。前回の旅で食べた高森町の「王来軒」や、弁当のヒライの「山ちゃんラーメン」で気に入っちゃいました。
らーめん龍風 人吉店 : 熊本県人吉市鶴田町867
人吉市のお隣り、錦町「道の駅錦」へ
人吉市で最後に晩ごはんをゲットして、やってきたのはお隣の町・錦町にある「道の駅錦」です。
特産品・農産物ショップをのぞいてみました。野菜、みかんがいろいろありますねえ。お惣菜コーナーでは牛すじ串がとっても気になりました(笑)晩御飯買っちゃったんだよなあ…。
■ 道の駅錦 ■
所在地 ▶▶
熊本県球磨郡錦町大字一武字浦田1544-1
環 境 ▶▶
国道219号線、夜の交通量は少ない
駐車場 ▶▶
普通車:77(身障者用4)台、大型:8台、ほぼ平ら
トイレ ▶▶
ウォシュレットあり
お 店 ▶▶
特産品・農産物ショップ、食事どころなど
※情報は行った時間帯により確認できた内容のみとなっています。
▶▶ 熊本県の道の駅情報まとめはこちらから
今夜の車中飯:お正月はケンタッキー!
はい、今夜の車中飯、2023年の初ケンタッキーでございます。
ケンタッキーといえばクリスマスですが、早起き鳥一家は2人ぐらし。パーティバーレルには手が届かない!昔あったミニバーレル復活してほしいなあ、と強く願う次第です。ということでクリスマスはケンタッキーから遠ざかるので、最近はお正月に食べることが多くなっています。
そしてやっぱり、オリジナルチキンが一番好きだなあ。チキンとポテトとコールスロー、Pはプラスチキンフィレバーガーで大満足でした。
31日目:錦町「ひみつ基地ミュージアム」見学
山の中の海軍の町!?にしきひみつ基地ミュージアム
おはようございます、旅31日目になりました。
熊本県人吉市のお隣にある錦町にいます。今日はまずこの町にある人吉海軍航空基地跡「ひみつ基地ミュージアム」を見学します。海から遠いこの地になぜ海軍航空基地があったのか?この辺に名前の由来があるらしいんですね。
お正月休みからあけて開館初日の今日、ほぼ1番のりでやってきました。入館料は地下魚雷調整場ガイド付きで800円、ほかにオプションの見学コース(無線室など)もあります。ガイドツアーの集合時間まで館内を見学します。
これは「赤とんぼ」と呼ばれる練習機(復元)。なんとこの飛行機は鋼管フレームながら躯体は木、そして翼は布張り(!?)というものでした。
山の中の海軍の町 にしき ひみつ基地ミュージアム : 熊本県球磨郡錦町木上西2−107
「ひみつ基地」をガイド付き見学
さて、地下魚雷調整場見学ツアーの時間になったので集合。
今朝は特別冷えたので「良ければバンで入口まで行きましょう」ということで、素直にバンに乗りました。「ひみつ基地ミュージアム」はかつての滑走路の端に位置しており、その先は崖になっています。いつもは徒歩で崖に設けられた階段を降りて見学へ行くようです。
崖下にある地下魚雷調整場の入口にやってきました。戦争末期、本土決戦に備えて地下に海軍の秘密施設がたくさん建造されたそうです。
崖の目の前には当時から集落があり、住民たちはほとんど施設の存在を知らなかったとか。戦後、ずっと防空壕と思われていた穴がごく最近になって海軍の地下施設だったところがわかり、まだまだ全容の解明には至っていないんです。
魚雷調整場の中へ。手掘りのトンネルの途中に横穴があって、そこはコンクリートで覆われています。ここが魚雷の調整場でした。
コンクリートでできてはいますが、鉄筋ではなくなんと木筋。物資不足をうかがわせます。
これは米軍の地図、英語で書かれています。赤いラインの場所から南が上陸作戦の目標とされたところで、ちょうどこの基地辺りもライン上にあるんです。人吉海軍航空基地は戦況が悪くなるにつれ、教育施設から特攻の訓練基地、そして本土防衛基地へと姿を変えました。
そして終戦、短かった基地としての役割を終え、地下施設は最近までその存在を知られることがなかったのです…。
さて、資料館に戻ってきました。展示されている当時の資料も見学、いろいろ考えさせられるミュージアムでした。それに、まだ地下施設の全容はわかっていないため、数年後に訪れるとまた違ったものが見られるかもしれませんね。また訪ねたいスポットでした。
さて、これからは再び鹿児島へ、その前に人吉あたりでランチにしようかな。
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